打算的な得
最近 思うことと云うか感じたこと。
突然ですが、私をはじめ皆さん 人は一人では生きていけません。
家族・恋人という小さい単位から会社・組織という大きな単位まで、全てにおいて人と人が支えあって成り立っています。
しかしながら、損得勘定で動く人というのは、人から何かやってもらうことは当たり前で当然の権利と思っている傾向があります。
反対に、自分が何か人にやってあげたりするとそれに対する見返りを必ず求めてしまうのです。
損をすることと得をすることばかりを考えている人は、一見 頭の良く要領も良いと感じる人もいるかもしれません。しかし、ことわざにも≪目先の損得勘定で損をする≫という言葉がある程です。
自分が人に対して使った労力やお金というのは巡り巡って自分に返ってくるものであり、今すぐ目に見える形で戻ってくるわけではありません。
普通であれば、関わる方々へ優しさや心から助けてあげたいという善意の気持ちがあれば見返りなどなくともやってあげることが出来ます。
また、損得勘定で動く人の原点には人のことを信じられないという感情が根底に眠っている気がします。
悲しいことに、育ってきた環境、幾度となく繰り返された裏切られ行為などにより、ひどく傷ついた方はそういった歪んだ感情を持っているのでしょうか。
人のことを信じられないと「この人はいつか自分を裏切るかもしれない」「信用できるのはお金だけ」といった極端な思考を持っていると経験上 感じます。
人間は人間を信頼して初めて、そこから優しい気持ちや無償の愛が生まれ、損得勘定ではない本当にその人のことを考えての行動をとることが出来ると思います。
人を信頼できる人は、「自分のことはどうなってもこの人さえ幸せになればいい」究極はそういった感情になるのです。そして、そこから信頼感や愛情など様々な人生を豊かにしてくれる人との関係性が芽生えてくると私は信じています。
しかし、損得勘定だけで動く人はそういった心からの愛情を与えることももらうこともできない為、とても寂しい人生を送ることになるのです。
最終的には、損得勘定を強く持ちすぎるがあまり、巡り巡って人間関係に関しては損をすることになってしまうと思います。
※あくまで私個人的な主観ですが、損得の判断(幸福・裕福)をどに重点をおいているのかにもよる様な気がします。
追記
損得勘定で動く人というのはある意味合理的だと言えます、自分の中でのメリットとデメリットがはっきりしているので、優先順位を瞬時に判断して、要領よくみられる傾向もあります。
また、自分を飾らないので、損得勘定で動く人はとても素直な人でしょう。
もし、これを読んでいる人の中に、自分が損得勘定(裕福への)の強い人間だと思う人がいたら、もう少し気楽に考えてみてはいかがでしょうか?
今後あなたの周りにいる方々が、あなたに幸せを運んでくる方々ではないでしょうか?