たかのりくん4 〜尺度〜
さて今回は、ふと誰かの人生を見て、「自分とはまったく違う」と感じることはありませんか?そんな事柄について考えてみました。
事実として家庭環境、価値観、人生の優先順位等、それらは人それぞれ違って当たり前ってコト。
日々、志事やプライベートを通じて多くの方と接していると、その「違い」こそが、人生をより深く、豊かにしていると感じることがあります。
今回は、そんな人生の"尺度"の違いを、2つの視点から掘り下げてみます。
合わせて、私自身が大切にしている「報徳の精神(恩に報い、徳を積むという考え方)」にも触れながら、どんな人生観も尊重される社会について考えてみたいと思います。
①子どもがいる人生と、いない人生で見える未来のちがい
まず、誰しも一度は考えるテーマかもしれません。
「子どもがいる人生」と「いない人生」。どちらが良い悪いという話ではなく、そこには見ている時間軸や優先順位の違いがあると考えます。
〇子どもがいる人生:未来への責任と報徳の実践
→ 自分の人生が「自分だけのものではない」と感じる瞬間が増える。
→ 子どもの教育や成長、家族の将来を見据えた選択が増え、視野が自然と長期的になる。
→「尽くすこと」が報いにつながるという意味で、報徳の精神にも通じるものがある。
〇子どもがいない人生:自分らしく生きるという責任
→ 自分自身の価値観を軸に、自由に時間や資産を設計できる。
→ 自らの選択や生き方に責任を持ち、その力を社会に還元していく姿勢は、報徳的とも言える。
※どちらの生き方にも、それぞれの幸せと苦労があり、どちらが優れているということではありません。人生のかたちは一人ひとり異なり、その多様性こそが社会の豊かさだと思います。
②名家と一般家庭の"ものさし"の違い
次に挙げたいのは、「家の背景」が人生観に与える影響です。
代々続く家に生まれた方と、そうでない方では、やはり背負うものや価値観の軸が違うこと感じてます。
〇名家の人生観:歴史を背負い、未来へ受け継ぐ意識
→「自分の行動=家の評価」となることもあり、節度や格式を重んじる場面も多い。
→ 伝統や資産を守り、次の世代へ引き継ぐという点で、「今だけでなく未来への責任」が明確。
→ 自分の代で"徳"を積むことで、未来の子孫や地域社会へ報いる。まさに報徳の生き方。
〇一般家庭の人生観:個人の努力と自立を重んじる
→ 家という枠にとらわれず、自由な選択とチャレンジができる。
→ 一代で道を切り拓くことが多く、「今この瞬間」をどう生きるかに集中しやすい。
→ 日々の仕事や家庭生活を通じて"尽くすこと"が、社会への貢献となり得るのも報徳的。
名家であっても、一般家庭であっても、自分の代で何を積み、誰に何を託すのかというテーマは共通しているのかもしれませんね。
報徳の考え方が教えてくれること
江戸末期の思想家・二宮尊徳が唱えた報徳の教えに、私は深い学びを感じています。
「道徳なき経済は罪であり、経済なき道徳は寝言である」これは、単に精神論でも、経済至上主義でもない。"行動と志の一致"を求める、とても現実的で人間らしい考え方だと私は感じます。
人生の尺度は、人によって違って当然です。
・子どもを育てながら未来に尽くす人も
・自由な人生を選び、自分の意思で社会に貢献する人も
・家系を守る責任を背負って生きる人も
・新たな道を切り拓きながら努力を続ける人も
どの生き方も、その人なりの"報徳"の実践なのではないでしょうか。
多様性の時代だからこそ、違いを尊重することが、最も現代的な"徳"かもしれませんね。
ブログという開かれた場では、読んでくださる皆さまの背景や価値観も本当にさまざまだと思います。
この文章が、誰かの立場や人生を否定するものにならないよう、できる限り配慮しながら綴らせていただきました。
他人の生き方に触れたとき、「違うから理解できない」ではなく、「違う背景があるからこそ、違うのだ」と受け止める。そうした姿勢こそが、報徳の本質=他者への尊重と尽くす心につながっていくのではないかと思います。
今日もそれぞれの立場で、それぞれの"徳"を積む一日を。仲間たちが考えるきっかけになれば幸いです。
関連ブログ :たかのりくん3 https://clubmaison.co.jp/blog/2021/04/post-192.html
追記 : 「至誠」「勤労」「分度」「推譲」が基本。以徳報徳(徳をもって徳に報いる) → 徳を以て怨みに報いるへ