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社長ブログ
President Blog

努力義務

さて今回は、私は志事において「努力義務」という言葉をとても大切にしている内容を書いていきたいと思います。


先ずは聞き慣れないかもしれませんが、努力義務とは誰かに命令されたから動くものではありません。

また、法律や規則で決められているから、仕方なく守るものでもありませんね。

本来の努力義務とは、「自分の役割を理解し、相手の立場を想像し、今の自分にできる最善を尽くすこと」だと私は考えています。


以前のブログで、私は志事にはいくつかのステージがあると書きました。

①生活のために働くライスワーク。

②好きなことを仕事にするライクワーク。

③使命感や責任感を持って人のために働くライフワーク。

そして、④他人や地域のために使命として動くライトワーク。


その中で、警察官や救急隊員、医師などを例に出しましたね。

例えば警察官が非番の日に、目の前で事件を見たらどうするでしょうか。

「今日は休みだから関係ない」と通り過ぎるでしょうか。

看護師が目の前で倒れた人を見て、「勤務時間外だから」と見て見ぬふりをするでしょうか。

救急に関わる人が、目の前の怪我人を見て、「手当は出るのか」と考えてから動くでしょうか。

おそらく、多くの方は無意識に動くと思います。


なぜなら、そこには資格や肩書き以前に、志事人としての使命があるからです。

そして、その使命を持っている方々は、周りから信頼されますよね。

これは、警察官や看護師だけの話ではありません。


飲食業であれば、お客様が困っている時に一歩先に動けるか。

福祉業の志事であれば、利用者さんやご家族の不安を自分ごととして受け止められるか。

経営者であれば、社員や仲間に任せきりにせず、自分も汗をかけるか。

地域団体であれば、役を受けた以上、会のために自分の時間と労力を差し出せるか。

そこに、その人の志事観が出るのだと思います。

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先日、ある活動の中で改めて感じたことがありましたね。。。

年齢や肩書きは立派でも、自分からは動かない。

誰かが準備してくれるのを待っている。

自分の都合や損得ばかりを考え、相手がどれだけ負担しているかを想像しない。

協力する立場にありながら、協力しないことに何の違和感も持っていない。

そういう姿を見ると、少し残念な気持ちになります。

もちろん、人にはそれぞれ事情がありますから。。。


忙しい時もあります、得意不得意もあります。だから、完璧を求めているわけではありません。

しかし、役割を受けた以上、最低限の努力義務はあると思います。

それは、すごい成果を出すことではありません、誰よりも目立つことでもありません。

大きなことを言うことでもありません。

まず返事をする。

できないなら、できないと伝える。

誰かが困っていれば、少しでも手を貸す。

自分が動けないなら、動いてくれている人に感謝を伝える。

相手の時間や労力を当たり前だと思わない。

こうした小さな行動の積み重ねが、信頼になります。

逆に言えば、努力義務を果たさない人は、少しずつ信頼を失っていきますよ。

本人は気づいていないかもしれませんが。。。

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しかし、周りはちゃんと見ていますよ。大人ですから。。

「あの人はいるだけだよな」「あの人は口だけだな」「あの人は自分の得になる時しか動かないな」「あの人には、次は頼みたくないな」

そう思われた瞬間に、人は静かに離れていきます。

これは志事でも同じです。

お客様も、社員も、仲間も、取引先も、地域も、よく見ています。

困った時に動く人なのか。

面倒なことから逃げる人なのか。

自分より立場の弱い人に配慮できる人なのか。

損得だけでなく、義理や人情を大切にできる人なのか。

志事の評価は、売上や利益だけで決まるものではありません。

最後は、その人の姿勢で決まります。

私は、会社もある意味では家族型だと思っています。

家族型とは、甘え合う組織という意味ではありません。

誰か一人に負担を押し付ける組織でもありません。

お互いの役割を理解し、足りないところを補い合い、困っている時には自然と手を差し伸べる関係性のことです。

そこに、努力義務があります。

そこに、義理があります。

そこに、人情があります。

努力義務のない人に、人は協力しません。

義理のない人に、人は力を貸しません。

人情のない人に、人は心を開きません。

これは厳しいようですが、現実です。

年齢が上だから偉いのではありません。

肩書きがあるから信頼されるのでもありません。

社長だから、人がついてくるのでもありません。

動く人だから、信頼される。

支える人だから、支えられる。

相手の気持ちを想像できる人だから、人が集まる。

結局、志事における努力義務とは、「自分は誰かの役に立とうとしているか」と言う問いなのだと思います。

休みだから。担当ではないから。得にならないから。評価されないから。自分には関係ないから。

そう言い訳をした瞬間に、志事はライフワークからライスワークに下がっていきます。

反対に、誰も見ていないところで動ける人。

損得ではなく、相手のために一歩踏み出せる人。

自分の役割を理解し、期待以上の行動をしようとする人。

そう言う人は、どの団体・業種でも必要とされます。

そして、そう言う人と一緒に志事がしたいと私は思います。

努力義務とは、強制ではありません。

しかし、強制されなくても動ける人かどうか。

そこに、その人の本質が出ます。

私自身も、まだまだ未熟です。

だからこそ、自分に問い続けたいと思います。

自分は、損得だけで動いていないか。

自分は、相手の気持ちを想像できているか。

自分は、役割を受けた以上、努力義務を果たしているか。

自分は、仲間や地域に対して、必要とされる存在でいられているか。

志事とは、ただお金を稼ぐためだけのものではありません。

人から必要とされ、誰かの役に立ち、信頼を積み重ねていくものです。

だから私は、これからも努力義務を大切にしたいと思います。

命令されなくても動く。見返りがなくても支える。相手の立場を想像する。自分の役割から逃げない。それが、志事人としての姿勢であり、人としての在り方なのだと思います。

関連ブログ: 自分自身① ~ワークステージ~ https://clubmaison.co.jp/blog/2022/02/post-220.html


関連ブログ:年齢至上主義な方 https://clubmaison.co.jp/blog/2024/09/post-276.html


追記

若い時なら、まだ失敗から学べるが、所帯じみて生きてきた初老に最後まで残る人望はないぞ。それで社長の立場なら、その経営は無理ゲ―な。