02僕が本当に目指しているもの
失敗のおかげで人の話が聞けるようになり、失敗のおかげで目指すべきものが明確になったとのことですが……佐野さんの信念とは何ですか? もっともっとお店をふやすこと?
たくさん店舗を経営して、多くの人を雇っていれば、周囲は、「スゴイ!」「成功している」と思ってくれるかもしれません。でも、そうした見た目のボリュームなんて、実はまったく意味がないと僕は思っているんです。だって、会社は個の集合体です。たとえ百人、千人と人材が集まっていても、その個ひとりひとりが疲弊しきっていたらその集団に未来はありませんし、反対に、たとえ数人だけでもいきいきとやる気に満ちた人が集まっていれば、その会社はこの先、どんな困難をも乗り越えることができるんです。だから僕は、社員ひとりひとりのやりがいを大切にしたい。ここにずっといたいと思ってもらえるような会社にしたい。僕にとって事業拡大は、結果論でしかありません。この先どんどん人が育っていって、彼らの意欲や能力が収まりきらなくなったなら、規模を広げていくこともあるだろうけれど、それ自体が目的になることはありません。
佐野さんのキーワードはやっぱり、「人」なんですね。
はい。僕は創業からしばらく、周囲の人間に対して、思いやりのない対応をしていました。いつも自分が正しくて、僕の考えからはみ出した人間は即、アウト。「辞めたきゃ辞めればいい」なんて軽んじていたから離職率も高く、人がまったく居つかなかった。でも、そうした自分ありきの経営が間違っていることを自覚せざるを得なくなり、そのタイミングで何人ものキーマンとの出会いがあり、彼らの言葉で救われ奮起し……年月を経てようやく、人あっての僕だったんだと覚醒できた。人を大事にしなければ、人と積極的に関わっていかなければ何もできないことに気づけたのです。だから僕は今、会社に関わる人々を、従業員とは呼びません。僕の言うことに従わせるだけ、業に従事させるだけの駒のような扱いはもう絶対にしない。彼らは仲間であり、家族だと思っていますから。
「社員は家族」とはよく聞く言葉ですが……。
胡散臭いですか? 僕もそういうセリフを聞いて、「本当にそう思っているのかな?」「偽善者っぽいな」と思うこと、多々あります(笑)。たしかに、家族と思うことは、僕の自己満足かもしれません。でも「従業員」「社員」「仲間」「家族」と言葉を並べてみると、それぞれ距離感が違う。その中の一番身近な存在、大事な存在を意味する「家族」という言葉を使うことで自分の中に、責任と覚悟が芽生えてくるのはたしか。そばにいる人たちを大切にしたい、大切にしなければならない……そうした思いを心にしっかり刻むためにも、「家族」と呼ぶことに大きな意味があると僕は思っているのです。
佐野さんにとっての「家族」は、社長としての責任をまっとうするための言霊(ことだま)でもあるのですね。
家族と呼べども、特別なことは何もしてあげられませんが(笑)。基本的には、見守るのがせいぜい。アドバイスをするとか、やりたいことにお金を出すとか、失敗のフォローをするとか……それくらいかな。ただすべてをなげうってでも、いざという時には守りたいと思っています。他の経営者からときどき、「生産性の上がらない社員はどうしたものか?」なんて聞かれることがありますが、僕はただ、ありのまま受け止めるだけです。もちろん、少しでも成長できるようハンドリングはしますが、そもそも家族ですから、損得で関係を終わりにしたりしません。あとは、不景気だろうと何だろうと給料は保障するし、会社が窮地に立たされたって、人員の整理なんて考えない。「家族」と自分が定めた以上、彼らの安心安全が第一ですから。
何より重要なのは、人! でも、何より難しいのも、人……。社長として、家族をまとめていくのは大変そうです。
そうなんです。人の感じ方はいろいろ、気持ちは日々うつろうもので、それをどうこうすることはできませんからね。だから僕は、昔のようにかっこつけたりウソをついたりは絶対にしない、とにかく自分がブレないよう気をつけています。また相手が誰であろうと、自分から腹を割って話すようにもしています。そうやってありのままの自分を見せ、誠実な態度を心がけていれば、少しずつでも信頼してもらえるようになるだろうし、そうした信頼の積み重ねがあれば、何か大きな問題が起こっても必ずリカバリーできると思っていますから。あと、世代が違うとか、考え方が合わないなどと、言い訳や言い逃れはしません。人には心があるわけで、アプローチのしかたをあれこれ工夫すれば、誰とだってつながれないはずがありませんから。思っていることは包み隠さず言葉にし、ひざを突き合わせて真剣に話し合いたい。どんな相手とも、関わることを諦めないように心がけています。
これから、クラブメゾンはどんな家族になっていくのでしょう?
同じ街に暮らして頻繁にすれ違っていても一生他人のままという場合もあれば、遠く離れたところで暮らしていても、ある時バッタリ出会って一瞬で惹かれ合い、固く結ばれてしまうご縁もある。とんでもない数の中で巡り会えて家族となったことは、まさに奇跡。日々当たり前のように顔を合わせて会話しているけれど、よくよく考えたらものすごいことなんですよ。そのことを忘れずにいれば、さまざまあっても何とかなるでしょう。それに、すれ違ったりぶつかったり、誤解したり誤解されたり……いろいろあってこそ、家族。穏やかに凪いでいる状態だけがしあわせではなくて、山やら谷やらに四苦八苦しながらも、みんなで力を合わせ、乗り越えようと頑張ることも醍醐味。そうやって、つらいことや大変なことも分かち合いながら、絆を深めていけたらいいなと思っています。